京都市東山区にある方広寺は、豊臣秀吉公が造営した大仏殿跡や大阪の陣のきっかけとなった梵鐘があるお寺です。
周辺には豊臣秀吉公が祀られている豊国神社や耳塚などがあります。
本記事では方広寺の見どころや歴史エピソード、参拝所要時間やアクセス方法を紹介します。
方広寺とは?
京都府東山区にある方広寺は豊臣秀吉公が創建した大仏殿跡や梵鐘がある天台宗のお寺です。
現在は豊国神社の隣にひっそりと佇んでいて境内も小さいですが、当時はとても大きな伽藍があったといいます。
方広寺の名称は奈良の東大寺の重要な法会である「方広会」にちなむといわれています。
方広寺は京都のなかではそこまで有名なお寺ではないので、人もほとんどいませんでした。
豊臣秀吉公のエピソードを集めた本を読んでいたら、方広寺のエピソードが特に興味深かったので周辺の豊国神社や耳塚など豊臣秀吉公ゆかりの地とあわせて訪問しました。
方広寺の見どころ・参拝所要時間
方広寺の境内は無料で拝観できます。
方広寺の参拝所要時間は約15分~20分でした。
隣の豊国神社もあわせて30分みておけば良いと思います。
方広寺の境内はこぢんまりとしていて、ゆっくり見学できました。
初穂料300円で御朱印もいただけるようです。
方広寺の梵鐘(国家安康の鐘)
方広寺の見どころのひとつが、大阪の陣のきっかけとなったといわれる方広寺の梵鐘(国家安康の鐘)です。
方広寺の梵鐘は豊臣秀吉公の死後に鋳造されました。
方広寺の梵鐘には「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれています。
この文字「国家安康」「君臣豊楽」が豊臣家の繁栄を願い徳川家を呪詛するものである(家康という文字が分断されているため)という因縁をつけられます。
それがきっかけとなり、大坂冬の陣に発展し豊臣家の滅亡を招いてしまったと言われています。
梵鐘の文字はとても小さく書かれていますが現在ではわかりやすいように白く塗ってありました。
また天井には草花や鳥、人間の現世や来世が描かれています。
方広寺の梵鐘は日本三釣鐘として重要文化財に指定されています。他2つは東大寺と知恩院です。
方広寺大仏殿跡
方広寺の境内にある鐘の奥に伸びる細い道をフェンス沿いに進んでいくと、方広寺大仏殿跡が残る緑地公園があります。
天正13年(1585年)に関白に就任した豊臣秀吉公は、奈良の大仏に匹敵する大仏を京都東山の山麓に建てようと考え、この地に実際に大仏をつくりました。
1595年に完成した方広寺の大仏は木製金漆塗の坐像で約19メートルもの高さがありました。当時は日本一の高さだったということです。
方広寺の大仏は度重なる地震、落雷や火災などにより何度も再建しては焼失してしまいます。
1度目は秀吉公が大仏殿を建立した翌年(1596年)に慶長伏見地震で倒壊しました。
子の秀頼公が再興を考え、途中鋳造中の大仏から出火してしまい大仏殿もろとも炎上するという困難を乗り越え1612年に2代目大仏が完成しました。
その後徳川政権下でも大仏殿は維持されましたが1798年に落雷で炎上します。
最後に造営された4代目の大仏は天保14年(1843年)のことで1973年まで存続していたそうです。
いままで何度も再建されてきたので、いつかまた再建されてほしいと個人的に思います。
現在の大仏殿の跡は緑地公園として整備されていました。
かつてここに大きな大仏があったとは考えられないほど、周囲は静かな住宅街でした。
方広寺へのアクセス方法
方広寺へのアクセス方法は電車やバスなど公共交通機関の利用が便利です。
- 京阪電車「七条駅」から徒歩10分
- 市バス「博物館三十三間堂前」下車、徒歩5分
お車の場合は隣の豊国神社に参拝する場合境内にある無料駐車場を利用することができます。利用する場合は豊国神社の社務所にて受付が必要なので注意してください。
方広寺の地図はこちら。
まとめ
方広寺は大阪の陣のきっかけとなった梵鐘や奈良よりも大きな大仏様があったお寺です。
現在はとても小ぢんまりとしていて当時の大きな伽藍や大仏殿の面影はありませんが、案内板にしっかりと説明があるので歴史好きの方は必見ですよ。
周辺には豊臣秀吉公が祀られている豊国神社や朝鮮出兵の際に朝鮮軍の耳や鼻をそぎ持ち帰り供養した耳塚があるのであわせて訪問してみてください。